子どもたちに伝えたい大切なこと:「考えなくなったら終わり」

スマホでなんでも調べられる時代だからこそ、伝えたい大切なこと

私が子どもたちに伝えたいことがある。それは、「人類は考えなくなったら終わりだ」ということだ。この言葉は、私が子どもの頃から大人たちに繰り返し教えられてきたことであり、人生の節々でその意味を深く実感してきた。だが今、スマホが全世界に普及し、誰もが手のひらの画面から情報を得る時代に生きる私たちは、その教えを忘れているように思える。

膨大な情報を瞬時に手に入れられるこの便利な時代は、一見、私たちを賢くしてくれるかのように思える。だが、実際はどうだろうか?人類は、考えることを放棄し、与えられる「答え」を鵜呑みにするばかりの存在になりつつある。この変化を、私たちの世代は「進歩」ではなく「衰退」と捉えざるを得ない。


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スマホの普及がもたらしたもの

スマホは人類に多くの恩恵を与えた。道に迷うことはなくなり、どんな疑問にも数秒で答えが見つかる。新しいレシピを探したり、最新のニュースを知ったり、世界の出来事をリアルタイムで追いかけることもできる。だが、その代償として私たちは「考える」という能力を犠牲にしてしまったのではないだろうか。

たとえば、昔の私たちなら、一つの疑問を解決するために百科事典を開き、本のページをめくりながら関連する情報を探し、そこからさらに別の知識に辿り着くことを楽しんだ。そのプロセスこそが「考える力」を養う時間だった。だが、今や検索バーに数語を打ち込むだけで済む。答えが簡単に手に入る分、その背後にある背景や文脈を考えることが少なくなった。

これを「便利」と呼ぶのは簡単だが、それが本当に「進化」と言えるのだろうか?私たちが情報を受け取るプロセスから考える余白を削ぎ落とし続けていることが、私には退化に見えてならない。

「考えない」若者への説教は無意味か?

しかし、こうした話を「若者」に説教することが意味を成すかと言えば、それはほとんど無意味だ。なぜなら、彼らは生まれた瞬間からスマホが身近にあり、その存在が「当たり前」だからだ。私たちの世代が「考えなくなった人類はお仕舞いだ」と憂いても、それは単なる懐古主義だと言われて終わるだろう。

彼らにとって、スマホやインターネットは水や空気のようなものだ。スマホを使って情報を得ることに慣れ切った世代に、「考えることの大切さ」を訴えても、それは時代遅れの説教としか響かない。だが、私はそれでも声を大にして言いたい。

スマホが与えるのは「答え」であって、「本質」ではない。

この違いを理解することが、未来を切り開く鍵になると信じているからだ。

考えなくても成功できる時代の危うさ

情報が氾濫し、答えが簡単に手に入る時代では、「いかに上手にそれを見せかけるか」というスキルが重宝される。これからは、二枚舌を持つ「口八丁」の人々が幅を利かせる世の中になっていくだろう。事実、SNSの世界では、内容の深さよりも言葉の巧みさやインパクトのある表現が評価されがちだ。

この現象を嘆くのは簡単だが、それを変えることは難しい。なぜなら、私たちは効率と結果を重視する社会を作り上げてきたからだ。誰もが「効率的に成果を出す」ことを求められ、その過程に価値を見出す余裕を失いつつある。

だが、このままではどうなるのか?「考えなくても成功できる」という価値観が浸透すれば、人々は表面的なスキルや見せかけの能力ばかりを重視するようになり、深い思考や内省を必要としなくなる。そうなったとき、人間は本来の強さを失い、脆弱な存在になり果てるだろう。

考えることの本当の意味

では、「考えること」とは一体何なのだろうか?それは、単に情報を処理する能力ではなく、自分自身の中に問いを立て、答えを探す過程そのものだ。そして、その過程を通じて、新たな発見や感動を得ることができる。

以前は、学ぶ過程で「考える癖」を身につけた。問題に向き合い、考えることで自分自身を見つめ直す力を手に入れた。考える力とは、そのように自分の内面と向き合い、他者や世界と繋がる力なのだ。

以前私の親戚は野外学習で「蛍の光り方が地域によって違うこと」を知ったときの感動を話してくれた。それを知った瞬間、彼女の世界は広がったという。同じ蛍でも、環境や場所によって異なるという事実。その発見が、彼女に考える楽しさを教えてくれた。

考え続ける人々が作る未来

考えることをやめた人々が増える一方で、それでもなお考え続ける人々がいる。その存在に私は希望を見出す。どんな時代になろうと、考えることを放棄しない人々が、次の未来を切り開くのだ。

社会が効率化を追求し、表面的なスキルが評価される時代になっても、問い続け、考え続けることの価値は変わらない。考えることを放棄した社会が持続可能ではない以上、その力を持つ人々がいつか必ず必要とされる瞬間が来る。

最後に言いたいこと

だから、最後にどうしても言っておきたい。

「考えることをやめるな。」

スマホが全世界に普及し、「口八丁」の人間が幅を利かせる世の中になったとしても、考えることをやめてはいけない。それは、人間としての本質を守る最後の砦だ。考えることでしか、本当の意味での自由や幸福は得られない。

私がこの世を去る頃には、スマホの時代はさらに進化し、人類はもっと考えなくなるかもしれない。だが、その中でも考え続ける人々がいる限り、希望は絶えないだろう。


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