大人になって忘れていた楽しむ心
先日、友人の子どもに会う機会があった。子どもと接する時間は、普段の忙しい日常の中ではなかなか取れない。だからこそ、その時間は新鮮で、私にとってとても貴重なものだった。彼らの純粋さやエネルギーに触れると、大人の生活の中で忘れかけていた大切なことを思い出させてくれる。
その子は終始目を輝かせながら、知っていることを私に一生懸命教えてくれた。例えば、「アンパンマン」のキャラクターを一つひとつ丁寧に紹介してくれる。「これがアンパンマンで、こっちがバイキンマン。それから、これはドキンちゃん!」というように、彼の世界のすべてを私に共有しようとしてくれるのだ。また、誕生日に買ってもらったおもちゃを嬉しそうに見せてくれた。その話をする彼の姿には、無邪気さと喜びが溢れていて、私は思わず心が温かくなった。
そんな彼の様子を見ているうちに、ふと気づいた。大人になった私たちは、こうした純粋な「楽しむ心」をいつの間にか失ってしまったのではないだろうか、と。
2011年に逝去された小林正観さんがずっと伝えていたこととは――?
人間関係 お金 仕事 子ども 健康…一瞬で悩みが消え、楽しみ上手に。
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人生を「修行の場」と考えて歯を食いしばって生きている人たちがいます。
あるいは、努力すること、頑張ること、我慢すること……が、生きる上で当然のこと、美徳だと考える人が大勢います。
本書を読めば、それが大きな勘違いだったことに気づきます。
なぜなら、そのような人生を過ごしていると、どうしても「つらい」「苦しい」という感情に支配されてしまうからです。
それよりもずっと大切なのは「人生を楽しむ」こと。
純粋さを奪う競争社会
大人になるにつれて、私たちは競争社会の中で生きていかなければならなくなる。学校では成績や評価、職場では業績や昇進、家庭では他人との比較。社会は私たちに常に「競争すること」を求め、結果を出すことにプレッシャーをかけてくる。
その結果、私たちは無意識のうちに「普通」という概念に縛られるようになる。「〇〇歳までに結婚するのが普通」「この年齢でこれを持っていないのは恥ずかしい」――そんな社会的な価値観が、私たちの自由な心を押さえつける。やがて、「自分がどうありたいか」よりも、「他人にどう見られたいか」が重要になり、自分自身を見失ってしまう。
子どもたちが持つ無邪気さや自由な発想は、こうした競争社会や「普通」の概念から解放されているからこそ輝いて見える。彼らの姿を見ていると、大人たちが抱える「縛り」の重さが際立つのだ。
情報の波に飲み込まれる日常
現代社会において、私たちが忘れてしまった「楽しむ心」を奪っているもう一つの要因は、スマホだ。私たちは隙間時間ができるたびにスマホを手に取り、最新のニュースやSNSをチェックするのが習慣になっている。電車の中、休憩時間、寝る前――常に情報の波に触れている。
しかし、その行為が本当に必要なのかと考えると、少し疑問が残る。最新のニュースを知ることや友人のSNS投稿を見ることは一時的な満足感を与えてくれるが、それが私たちの心を豊かにしているとは限らない。それどころか、情報の洪水に溺れることで、自分自身と向き合う時間や物事を楽しむ余裕が失われているのかもしれない。
子どもたちはスマホではなく、目の前の世界に集中している。おもちゃで遊ぶ時間、外で走り回る時間、好きなことについて話す時間、そして寝る時間。その全てが「今この瞬間」を楽しむことに繋がっているのだ。
「楽しむ心」を取り戻すには
友人の子どもと過ごした時間を通じて、私は思った。私たち大人も、もっと純粋に「今」を楽しむことが大切なのではないかと。目の前の出来事や、自分の中に湧き上がる興味に目を向けることで、人生がもっと豊かになるのではないだろうか。
たとえば、通勤の電車では、スマホを置いて外の風景に目を向けてみる。移りゆく景色や、人々の動きを観察することで、これまで気づかなかった新しい発見があるかもしれない。
また、自分の中にある「なぜ?」を大切にすることも大事だ。子どもたちは、何かを知ること自体を楽しんでいる。大人になっても、そうした純粋な好奇心を持ち続けることで、日常の中に楽しさを見出せるのではないか。
競争と純粋さのバランスを見直す
もちろん、大人として社会で生きる以上、競争や責任から完全に解放されることは難しい。それでも、そうした現実と純粋な楽しさのバランスを見直すことはできるはずだ。
仕事や社会的な役割に追われる日々の中でも、自分が本当に好きなことや、興味を持てることに時間を使う。子どものように、「誰かにどう見られるか」を気にせず、自分の感じたままに行動する。そうすることで、大人になって忘れてしまった「楽しむ心」を少しずつ取り戻すことができるのではないだろうか。
人生を豊かにする「楽しむ心」
「楽しむ心」を取り戻すことは、単に気分を良くするだけではない。それは、人生そのものを豊かにするための鍵だ。競争や比較に疲れた日々の中で、ほんの少しだけ立ち止まり、自分自身の中にある「好き」や「楽しい」に耳を傾ける。その時間が、心の中に新たなエネルギーを与えてくれる。
友人の子どもが、目を輝かせながら教えてくれたアンパンマンの話や、誕生日のプレゼントを紹介してくれたその瞬間。あの純粋な喜びを、私たち大人も思い出すべきだ。それは、競争や責任だけでは満たされない「心の栄養」になるはずだ。
最後に
子どもたちの無邪気さを見て、私は強く思った。人生は、他人と比べたり、誰かに認められるためにあるのではなく、自分が楽しむためにあるのだと。
だからこそ、もっと純粋に目の前の瞬間を楽しもう。通勤の途中で景色を眺めたり、何気ない日常の中で「なぜ?」という問いを大切にしたりする。そうすることで、大人としての忙しい日々の中にも、小さな楽しみを見つけることができる。
「楽しむ心」を取り戻したとき、私たちの人生はきっともっと豊かで、もっと明るいものになるだろう。そしてそれは、競争や責任に追われる日常を乗り越えるための大きな力になるはずだ。
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