人生は木の年輪のように広がっていく
年をとるのは本当に下降線なのか?
「25歳をピークに、あとは下降線だ」という考え方は、多くの人が一度は抱く思いではないでしょうか。若さの象徴とも言える20代の輝きが消え、体力も落ち、失われるものばかりが目につく……そんなネガティブなイメージが、特に若い世代には根強いように思います。
しかし、詩人・谷川俊太郎さんが語った「歳をとるとは、木の年輪が増えていくようなものだ」という言葉は、そんな常識をひっくり返します。歳を重ねるたびに、私たちは「外側の領域」が増え、以前の自分に戻ることもできる。これを知ったとき、「老い」への漠然とした不安が少しだけ和らぎました。
谷川俊太郎とは
谷川俊太郎さんは、日本を代表する詩人であり、現代詩の分野で数々の名作を生み出してきた人物。彼の詩は言葉の美しさだけでなく、読む者の心に直接語りかけるような温かさがあることで知られている。代表作には『二十億光年の孤独』『生きる』などがあり、シンプルながら深い洞察に満ちた作風が特徴だ。彼の言葉には、人間の普遍的な感情や生き方に対する深い理解が込められており、多くの人々の心を支えてきた。
デビュー以来、半世紀を超えて人々に喜びと感動をあたえてきた谷川俊太郎(1931─)の二千数百篇におよぶ全詩から、作者自身が厳選した173篇を収録。子どもが読んで楽しめることばあそびから引用文だけで構成された実験的な長編詩まで、さまざまな文体で書き分けられたリズム感あふれることばの宇宙を俯瞰する。
年輪が増える感覚:未知の自分を発見する喜び
若い頃にはわからなかった感覚や価値観が、年を重ねるごとに自分の中に生まれてくる。例えば、子供の頃は「大人ってなんでこんなに退屈そうなんだろう?」と思っていました。だけど、大人になって初めて「静かな時間の心地よさ」や、「自分のペースで生きる自由」の大切さに気づく瞬間があります。
まるで年輪が増えるように、私たちは経験とともに未知の感覚を身につけます。20代では感じられなかった心の余裕や、ちょっとしたことで幸せを感じる能力は、時間を重ねて得られた贈り物のようです。
子供の頃の自分もどこかにいる
谷川俊太郎さんの言葉にもうひとつ深く共感するのは、「戻りたい自分に戻れる」という部分です。歳をとると、確かに新しい感覚を得る一方で、幼い頃の感覚も失われるわけではありません。
例えば、雨上がりの地面に映る水たまりを見たとき、ふと子供の頃の記憶がよみがえりませんか?あの頃は水たまりに飛び込むことが楽しかった。それを思い出す瞬間、自分の中に「子供の自分」が今でも生きているような感覚がします。
大人になると、失ったものばかりに目が向きがちですが、実は子供の頃の自分をいつでも呼び戻せる。それは、私たちが年輪のように過去の自分を内包しながら生きている証拠なのかもしれません。
「歳を重ねる怖さ」を乗り越えるために
それでも、歳を重ねる怖さがなくなるわけではありません。見た目の変化、体力の衰え、社会的な期待……年齢に伴うプレッシャーは多くの人にのしかかります。しかし、それをどう受け止めるかは私たち次第です。
「年輪が増える」という考え方を持てば、老いはただの衰えではなく、豊かさの証になるのではないでしょうか。知らなかった感覚が増え、失われるもの以上に得られるものがあると気づけると、生きることへの新たな視点が生まれます。
おわりに:年齢を重ねることを楽しむ
歳をとることは、決して失うだけの行為ではありません。谷川俊太郎さんの言葉のように、「年輪が増える感覚」で人生をとらえると、過去も未来もひとつの循環の中にあると感じられます。
若さに執着するのではなく、今この瞬間の自分を受け入れ、豊かにする。それこそが、本当に自分らしい生き方なのではないでしょうか。
あなたの「年輪」は、どのように増えてきたでしょう?ぜひ一度、自分自身を振り返りながら、その豊かさを味わってみてください。
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