10代の自分に読ませたい!「やる気を出せ」に縛られない生き方とは?

「やる気を出せ」に縛られない生き方とは?

「やる気」という言葉の呪い

「やる気がないからダメなんだ」
「あいつはやる気が足りない」
この言葉を聞いたことがない人はいないでしょう。学校の先生、部活の先輩、職場の上司まで、誰もがやる気という魔法の言葉を振りかざしてきます。でも、森毅さんの言葉に出会ったとき、そんな「やる気信仰」に違和感を持つきっかけが生まれました。

森毅ベスト・エッセイ』で彼は、「やる気」なんてものはむしろ邪魔だとさえ言っています。「やる気を出せ」と意識してしまう時点で、それは本物じゃないのだと。この言葉を10代の頃に知っていたら、何かが変わっていたかもしれない。いや、少なくとも心が軽くなったのは確かです。


森毅ベスト・エッセイ

まちがったって、完璧じゃなくたって、人生は楽しい。稀代の数学者が放った教育・社会・歴史他様々なジャンルに渡るしなやかなエッセイを厳選収録!


何もせずに過ごした夏休みの記憶

私も「やる気」に囚われていた一人です。高校時代の夏休み、何もしたくない日々が続き、机の上にはやる気を引き出すために買った自己啓発本が積み上がっていました。「1日1時間でも勉強を始めよう」みたいなことが書かれていたけど、結局その本を開く気力さえ湧かなかった。

でも、その夏の終わりに偶然見た映画――2001年宇宙の旅――に夢中になり、気づいたら夜明けまでその作品や監督・同じ時代の作品などについて調べ尽くしていました。そこに「やる気」はありませんでした。ただただ「もっと知りたい」という衝動があっただけ。あの時、「これが森さんの言う本物か」と気づいていれば、無駄に自分を責めずに済んだんじゃないかと思います。

本物は「やる気」の外側にある

森毅さんの言葉は、やる気というものを無理に出そうとすることの無意味さを教えてくれます。本物の情熱は、「やらなきゃ」ではなく「やらずにいられない」衝動から生まれる。それは、ちょうど好きな漫画を一気に読み進めてしまう感覚に近いのかもしれません。

たとえば、心理学者のミハイ・チクセントミハイが提唱した「フロー理論」を考えてみてください。彼の研究によれば、人間は「適度な挑戦とスキルのバランス」が取れた状態で、深い没頭を感じるそうです。この状態に入ると、やる気を意識しなくても、自然と目の前のことに集中できる。それこそが「本物のやる気」ではないでしょうか。

「やらなきゃ」から「もっと知りたい」への転換

もしあなたが今、「やる気が出ない」と自分を責めているなら、どうかその思考を一旦やめてください。それよりも、自分が無意識に楽しいと感じる瞬間を探してみるのです。それがゲームでも、音楽でも、映画でも、何でも構いません。そうした「のめり込む体験」を増やしていけば、「やる気」なんていう言葉を意識する必要はなくなるでしょう。

私自身も、この文章を書くのが苦痛だったらこんなふうに筆を進められません。「どうせ読んでもらえないだろう」と思いつつも、森毅さんの言葉の良さを伝えたいという気持ちが止められなかったのです。

自分の「本物」を探す旅

10代の頃にこの言葉を知っていたら、もっと早く気楽に生きられたのかもしれない――でも、気づいた今からでも遅くはありません。「やる気を出せ」と言われていることに違和感を感じたら、それはあなたの中にある「本物」を探すサインです。

次の週末、少しだけ時間を取って、無心で没頭できることを試してみてください。森毅さんの言葉が、あなたの新しい扉を開くきっかけになりますように。


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