自分を大事にしすぎると、人生は窮屈になる
人間の悩みの多くは「自分が大事すぎる」から生まれる。誰かに嫌われたら気にするし、思い通りにいかないと腹が立つ。でも、視点を少し変えるだけで人生はぐっと楽になる。
ある時、ふと思った。「もし自分が人生の映画の“主役”ではなく、脇役だったらどうだろう?」主役の重責を降りることで、予想以上に心が軽くなった。
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嫌われたら「今回の悪役は俺か」と思えばいい
人に嫌われるのは誰だって嫌なものだ。でも、映画には必ず悪役が必要だ。嫌われる役が回ってきたら、「お、この映画での悪役は私か」と受け入れる。むしろ物語の展開上、自分が必要とされていると考えれば気が楽になる。
例えば、仕事で意見がぶつかり、周りの空気が悪くなることがある。そんな時、以前の自分なら「嫌われたかも」と思い悩んでいた。でも、「今回は自分がストーリーを動かす役なんだ」と思えば、不思議と立ち直れた。
嫌われることは避けられない。どんなに努力しても全員から好かれることはない。むしろ、全員に好かれようとするほど、自分らしさが失われてしまうものだ。「悪役」を引き受ける覚悟ができた時、自分の行動が堂々としたものになる。
他人が輝いたら「いい映画だな」と思う
周りの人が成功したり注目を浴びたりすると、嫉妬心が芽生えることがある。だが、映画を観ているつもりになれば話は別だ。他人が主役として輝いているのを見ると、「いい映画だな」と感心できる。
ある友人が長年の夢を叶えた時、昔なら「羨ましいな」と思っていたかもしれない。でも今は「彼が主役の素晴らしいシーンだな」と喜べる自分がいる。映画の観客としての視点に立つと、他人の成功も素直に祝福できるのだ。
さらに、他人の成功は刺激にもなる。「自分も次の場面では輝いてみよう」と思うきっかけにもなる。成功者の裏側には見えない努力や失敗があることを思えば、観客である自分にも学ぶべきことがある。
自分の物語の脚本家は自分だ
この考え方を続けていくうちに、人生の「脚本家」は自分だということに気付いた。主役も脇役も、悪役さえも、自分で役割を選べる。物語の展開がどうなるかは、自分の演じ方次第だ。
もちろん、全てが思い通りにはいかない。それでも、自分がどんな役を演じるかを選ぶ自由は残されている。脚本家である自分が、次のシーンをどう書くか。そう思うと、人生は少しだけ楽しく、興味深いものに変わる。
人生は思いがけない展開に満ちている。「予想外の展開」を恐れず受け入れることで、物語はより豊かになる。脚本家である自分が、どのような結末にするのか考える時間こそが、人生をより深く楽しむコツだ。
おわりに:人生という映画をもっと楽しもう
人生は一つの映画だ。自分が主役だと思うと、期待も重責も大きくなる。けれど、時には脇役や悪役に回ることで、心の荷物は軽くなる。
誰かに嫌われても、他人が輝いても、それは物語の一部。自分が脚本家として、次のシーンをどう演出するかを楽しむことで、人生はもっと自由で面白いものになるはずだ。
最後に、映画の脚本には結末があるように、人生にも終わりがある。その日まで、主役にも脇役にもなりながら、物語を紡ぎ続ける。それが自分らしい人生という名作を作る秘訣だ。
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