飲み会を地獄にする人の共通点
飲み会で見た“教養の差”の瞬間
数年前、会社の飲み会で、先輩が酔っ払いながら自慢話を始めた。昔のケンカ自慢、合コンでの「武勇伝」、挙句の果てには部下をからかうような発言――それはもう、時代錯誤な“宴会芸”だった。誰もが引いていたが、本人だけは得意げだったのが印象的だった。
その場の空気を変えたのは、上司の一言だった。
「昔の自分を持ち上げるより、これからの自分に期待した方が面白いよ。」
空気が一気に変わった。誰も何も言えなかったが、その場にいた全員の心に刺さったと思う。飲みの席は、知識や教養があれば楽しい会話の場になるが、そうでなければパワハラやセクハラが横行する危険地帯になる。その違いを目の当たりにした瞬間だった。
マカヒキでの日本ダービー制覇や
ラヴズオンリーユーでのブリーダーズカップ フィリー&メアターフ勝利など数々のG1レースを制してきた、日本を代表するジョッキー・川田将雅。
その活躍の原動力といえる
負け続けた末につかんだ「思考法」を本書で全公開。
“武勇伝”が止まらない理由
過去の“武勇伝”を語る人を見ると、悲しくなる時がある。話す本人に悪気はないのかもしれない。ただ、それが唯一の“輝いていた瞬間”なのだろう。その記憶にしがみつく以外、今の自分に誇れるものがないのかもしれない。
挑戦しなくなった大人が陥りがちな罠――それが“武勇伝ループ”だ。
過去の成功や失敗にこだわり、新しい経験からは逃げる。そして新しい話題がないから、結局また昔話に戻る。何かに挑戦している人を見ては「無理だろ」「意味あるの?」と揶揄する。
挑戦する人が眩しいからこそ、傷つけたくなるのかもしれない。
“挑戦しない”は、一種の停滞だ
挑戦するのは怖い。年齢を重ねるほど、新しいことに手を出すのはリスクに思える。だけど、挑戦しなければ“成長する痛み”は味わえない。そして痛みを避け続けると、人は“過去の栄光”だけを語る人になってしまう。
思い出すのは、ある作家が語っていた言葉だ。
「挑戦をしないのは、退化を選ぶことだ。」
変わらないことを“安定”と考えるのは誤解だ。挑戦しない限り、世界に置いていかれるだけ。挑戦のない人生は、武勇伝の再生ボタンを押し続けるだけの繰り返しになる。
“学び”が人生の可能性を広げる
何かに挑戦するのに、遅すぎるなんてことはない。新しいことに挑戦する人は、見ているだけでかっこいい。それは、“結果”があるからではなく、“その姿勢”にこそ価値があるからだ。
この前、50代の知人がギターを始めたと言っていた。なぜ急に?と尋ねると、「昔からやりたかったけど、なんとなく機会を逃してきたから」と笑った。最初は全然弾けなかったそうだが、今では小さなライブにも出るようになったとか。挑戦する姿を見て、自分の“まだやっていないこと”が浮かんでしまった。
「挑戦を笑う人」は挑戦しない人
挑戦する人をバカにするのは、挑戦しない人の自己防衛かもしれない。心のどこかで、自分も挑戦したいと思っているが、怖くてできない。だから、挑戦する人を見下すことで、プライドを守ろうとする。
だけど、挑戦する人は何も気にしていない。むしろ笑われるのは、挑戦の証だ。挑戦しているからこそ、批判も受ける。それがわかれば、「どう思われるか」なんて気にする必要はない。
過去ではなく“今”を語れる自分へ
飲み会での“武勇伝”が苦い記憶としてこびりついているのは、自分もいつか、そうなってしまうかもしれないという不安があるからだ。だからこそ、過去ではなく“今”を語れる自分でありたいと思う。
何かを始めるのに遅すぎることはない。新しいことから逃げない限り、人生にはまだまだ広がりがある。挑戦する人を笑うのではなく、自分も挑戦する側に立つ。そうすれば、“武勇伝”ではなく“現在進行形の物語”を語れる自分になれる。
過去の自慢話が主役の飲み会を、未来の話ができる場に変えていこう。過去の“武勇伝”ではなく、これからの“挑戦談”を語れる自分になれるように。
いつからでも、人は変われる。新しい一歩を踏み出すのは、今日でも遅くない。
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