『良いこと悪いこと』第6話直前―5話徹底考察「博士」は誰だ? イマクニ?ターボー?“7人目の友達”に隠された恐怖の真相

2025年10月期・日本テレビ系土曜ドラマ『良いこと悪いこと』。
鷹里小学校の同窓会で、タイムカプセルから出てきたのは――6人の顔が塗りつぶされた卒業アルバム
“7人目の友達”の存在が語られるたび、記憶は食い違い、友情は軋み、そして過去が再び動き出す。

第5話では、その“7人目”にまつわる核心――「博士」という人物の存在がついに明らかとなった。
物語の空気が一変するほどの衝撃回であり、視聴者の間では“犯人”をめぐる複数の説が錯綜している。


■ 新事実:学校のホームページでの博士の存在

ちょんまげが第5話で一心に探していたのは、“学校のホームページ”だった。
それは単なる掲示板ではなく、小学生時代にちょんまげと博士が共に作り上げたホームページであることが明らかになる。

第4話で彼が手にしていた「ホームページ・クリエイター」という古びた本。
あの本こそが、この伏線を暗示していた重要なアイテムだったのだ。

そして驚くべきことに――
そのホームページは今もインターネット上に残されており、
第5話では、現在のちょんまげが博士と“チャット”を通して再び会話を交わすという、
“過去と現在をつなぐ異様な再会”が描かれた。

このやり取りによって、博士という人物が確かに存在したこと、
そして博士のことを覚えているのがちょんまげただ一人であることが判明する。
他の同級生たちは誰も博士を覚えていない。
まるで、博士という存在が“記憶から消された”かのように――。

■ 犯人説① イマクニ説 ― 混乱を呼ぶ「ミスリードの主」

イマクニの回想シーンで描かれた“みんなで遊んでいた家”。
あの家こそ、7人目=博士の家だったのではないかという説が浮上している。
博士は知識が豊富で、当時からゲームや漫画をたくさん持っており、
それをみんなに貸していた――その延長線上に、今の“ゲームバー”があるのではないか、というのだ。

イマクニのバーの中には、過去の自作と思われる“動物博士”や“昆虫博士”の絵が飾られており、
もしこれが博士の作品であるならば、彼こそが「7人目」である可能性は高い。

番組タイトルロゴの反転している謎が考察にたびたび上がっていた。
今回新たな考察が生まれ犯人イマクニ説が有力視されることとなった
それは「良いこと悪いこと」をよく見ると
いマくに
と読めるのだ。

また、第4話の「セミの抜け殻」エピソードでは、3人の登場人物がそれぞれ違う記憶を語っていた。
この食い違いが、“堀遼太”という人物に繋がるという説がある。

堀くんの夢は“昆虫博士”。
そして、公式Xに掲載された卒業アルバム写真の中で、
堀遼太の名前の下にだけ“黄色い封筒”が置かれているという謎の演出。
さらに、大人のイマクニと子供時代の堀遼太の顔が酷似しているという指摘もあり、
2人が同一人物、または何らかの関係を持っている可能性が浮かび上がる。

「堀遼太=博士」説が現実味を帯びてくる中で、
“7人目の消失”と“昆虫博士”というモチーフの関係にも注目が集まっている。

「ラララ言えるかな? 君は言えるかな?」
ポケモン言えるかなの歌詞のように、最後に“ひとり忘れている”――。
この構造が物語の主題と重なって見える。

しかし、第5話での描写を細かく追うと、
イマクニが“犯人に見えるように描かれている”のは、あえてのミスリードの可能性がある。

ポケモンカードの《イマクニ?》は、相手を“こんらん状態”にする効果を持つ。
つまり「場を混乱させる存在」ではあるが、“攻撃”や“破壊”はしない。

イマクニ=混乱の象徴。
彼は真犯人ではなく、物語を“かき乱すトリックスター”として存在しているのかもしれない。
その混乱こそが“事件を覆う霧”の正体――視聴者すら惑わせる“生きたカード”のような存在だ。


■ 犯人説② ターボー説 ― 入れ替わりの影と「海の死体」

7人目の博士は、実はターボーの兄であり、知識豊富なことから“博士”と呼ばれていたのではないかという説。
ターボーの家は裕福なので家が広く、ゲームやおもちゃがたくさんあることが想像できる。
その中で弟ターボーと家では一緒に遊んでいたが学校では同じグループにはいないため、ちょんまげ以外の人は博士の存在を忘れているのではないか。

また卒業アルバムの集合写真に“ダーボー”の姿が写っていない点も注目を集めている。

ターボーが仕事でアメリカへ行く際に「見送った」とされているが、
その背後に“入れ替わり”の可能性がある。

もし本物のターボーが既に死亡しており、海で見つかった遺体が彼だったとしたら――
現在の“ターボー”は兄または弟でその復讐のために動いているのではないか


■ 犯人説③ 大木真斗説 ― 「ドの子」と「オーキド博士」

卒業アルバムなどにはいるのにキャスティング一覧に“大木真斗”の名前が存在しないという違和感。
これは番組も意図してこういった演出にしているのではないか。
ここで浮上するのが、「大木 → オーキド → 博士」という連想だ。

名前を分解すると「オオキ+ド(の子)」=オーキド。
この語構成が、物語中で繰り返し強調される「ドの子」というキーワードと一致する。
つまり、“博士=大木=オーキド”という隠された構造が仕組まれている可能性がある。

もし“大木真斗”が“博士”その人であるなら、
物語のすべては“博士の実験”――つまり彼自身がこの“記憶の物語”を操っていることになる。


■ 総合考察 ― 記録が記憶を超える瞬間

「博士=7人目」「学校のホームページ=ちょんまげの記録」「ターボー=海外へ行っていた」
この3つの要素が交わった時、物語はただのサスペンスを超えて、
“記録が記憶を上書きする物語”へと変貌する。

イマクニはその記録を“こんらんさせる存在”。
ターボーは“入れ替わりによる虚構の記憶”。
堀遼太は“忘れられた夢”。
そして大木真斗(オーキド博士)は、“すべてを見ている観察者”――。

ドラマ『良いこと悪いこと』が描くのは、
“誰が犯人か”ではなく、“誰が覚えているのか”という問いそのものだ。
「忘れられた人間」は本当にいなかったのか?
それとも、思い出そうとしない人々の“罪”が、今、形を成しているのか。


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