心理学から学ぶ「感情の疲労」とは
感情を拾いすぎる日常
私は昔から、どうにも人の感情に過敏だ。それが「長所」だと言われればそうなのかもしれないけれど、正直に言うと少し厄介でもある。たとえば、何気ない表情の変化や声のトーンから、その人が今どんなことを考えているのか、なんとなくわかってしまう。これは人と接する上で便利なスキルのようでいて、実は結構な消耗戦だ。
たとえば、コンビニのレジで店員さんの態度が少しそっけなかったとき。たぶん疲れているのだろう、とか、もしかしてさっきのお客さんが嫌なことを言ったのかもしれない、なんて考え始めてしまう。感情の「裏側」を想像する癖があるせいで、買い物ひとつとってもエネルギーを消耗する。
それだけじゃない。感情をぶつけられると、それをどう処理すればいいのかわからなくなり、その場でただ「自分が悪かったのかもしれない」と反省するモードに入ってしまう。結果として、その人にストレスを与えないよう、自分の行動を変えることが習慣になった。
こうして気づけば、私の中で感情がどんどん押し込められていき、自分自身の感情が表に出なくなってきた。調べてみると、これには名前があるらしい。「感情の疲労」だそうだ。
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「共感疲労」とは何か
心理学で「共感疲労」という言葉がある。英語では "compassion fatigue" と呼ばれ、もともとは医療従事者や介護職の人々に見られる現象として研究されていた。患者や家族の感情に寄り添い続けることで、自分の感情エネルギーが尽きてしまう状態だ。
しかし、この概念は決して特定の職業だけに当てはまるものではない。私のように感情に敏感な人なら、日常生活の中でも十分に経験することだ。友達の悩みに寄り添い、家族の小さな不満に耳を傾け、同僚の愚痴に相槌を打つ。これを続けていれば、たとえどんなにポジティブな人でも疲れてしまう。
共感疲労が進むと、以下のような症状が現れると言われている:
- 他人の感情に対する反応が鈍くなる(感情の麻痺)
- 自分の中にエネルギーが残っていない感覚
- 誰かを助ける行動に対する罪悪感や無力感
これを読んだとき、まさに自分のことだと思った。特に「感情の麻痺」という部分は痛いほど身に覚えがある。
消耗する共感と感情の麻痺
ある日、友人から深刻そうな声で「相談がある」と連絡が来た。内容は恋愛の悩みで、私は一生懸命聞き役に徹した。どうすれば友人が少しでも前向きになれるかを考え、言葉を選び、共感のジェスチャーを重ねた。けれど、その電話を切ったあと、なぜかどっと疲れが押し寄せてきた。
ふと、思った。「なんでこんなに疲れるんだろう?」と。友人のためを思ってした行動が、なぜ自分をこんなにも消耗させるのか。結局、その後しばらくは自分の感情に蓋をして、何も考えないようにするしかなかった。これが「感情の疲労」の典型的なパターンだと後から気づいた。
共感のコントロールは「自分を守ること」
ここで大事なのは、共感そのものを否定することではなく、その範囲や深度をコントロールすることだ。これは決して冷たい行動ではない。むしろ、自分を守ることで他人に寄り添い続ける余裕を作る、いわば「持続可能な共感」だと考えたい。
心理学者のクリスティン・ネフが提唱する「セルフ・コンパッション(自己への思いやり)」という概念がヒントになる。これは、自分自身を批判せず、まるで親しい友人に接するように自分を扱うというものだ。共感疲労に苦しむ人には、まず自分の気持ちに共感することが必要だ。
たとえば、以下のような方法がある
- 「他人の感情は自分の責任ではない」と認識する。
- 自分だけのリフレッシュの時間を確保する。
- 感情を表現する練習をする。
感情のアンテナをオフにする勇気
私が最近心がけているのは、「すべての感情を拾わない」ことだ。たとえば、誰かが不機嫌そうなとき、すぐに「自分が何か悪いことをしたのかもしれない」と思い込まない。むしろ、その人の感情はその人自身の問題であり、自分が過剰に責任を感じる必要はないと考えるようにしている。
これを続けると、自分の感情エネルギーが少しずつ回復していくのを感じる。完璧ではないけれど、「他人の感情に飲み込まれない」という選択をすることで、自分の感情にも余裕が生まれる。
おわりに:感情の疲労を乗り越えた先に
共感は素晴らしい能力だ。でも、それが自分を犠牲にして成り立つものなら、それは本当の意味で「共感」ではないのかもしれない。感情を拾いすぎてしまう人たちへ伝えたい。少しだけ自分を優先する勇気を持とう、と。
感情の疲労を防ぐことは、他人を大切にするための自己防衛術だ。これに気づいたとき、私はようやく肩の力を抜くことができた。今も敏感な自分は変わらないけれど、その敏感さを自分の味方につける方法を少しずつ学んでいる。
あなたももし、自分の感情が疲れていると感じたら、少しだけそのアンテナをオフにしてみてほしい。その休息が、また誰かに寄り添う力をくれるのだから。
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