なぜ「青」は心を揺さぶるのか?
青という届かない色
谷川俊太郎さんの詩「どんなに深く憧れ、どんなに強く求めても、青を手にすることはできない。」この一節に、心を掴まれた瞬間があった。青は遠い色。空も、海も、そして青春も。
デビュー以来、半世紀を超えて人々に喜びと感動をあたえてきた谷川俊太郎(1931─)の二千数百篇におよぶ全詩から、作者自身が厳選した173篇を収録。子どもが読んで楽しめることばあそびから引用文だけで構成された実験的な長編詩まで、さまざまな文体で書き分けられたリズム感あふれることばの宇宙を俯瞰する。
青は遠いからこそ美しい
海を見つめると、水平線の向こうに広がる果てしない青に引き込まれる。しかし、手を伸ばしてその青を掬おうとすれば、手のひらにはただ冷たい塩水が残る。遠くにあるからこそ、青は神秘的で美しい。近づこうとすればするほど、その美しさは逃げ、水色の現実だけがそこにある。
空もまた同じだ。見上げればどこまでも澄んだ青。しかし、飛行機で雲の上に出ても、その青を触れることはできない。地上にいる時こそ、青の美しさに気づくのだ。届かないからこそ、私たちは青に憧れる。
青春という名の青
青春もまた手に入らない青だ。高校時代、あの夏の日々は永遠に続くと思っていた。しかし今振り返ると、あの時の青は眩しくて、もう二度と戻れない場所にある。思い出は色褪せるどころか、時間が経つほどに美しさを増していく。青春は遠ざかるからこそ、心の中で輝きを増す。
思い返せば、あの瞬間瞬間をもっと大切にすれば良かったのではないかと後悔する。しかし、その手の届かない青があるからこそ、今の私たちの人生が輝きを持つのかもしれない。
人生の「青」へ向かって進む
谷川俊太郎さんの詩を思い出すたびに、届かないものへの憧れは消えない。夢や希望もまた、手に入らない青のような存在だ。成功も、幸せも、理想の未来も。必死に掴もうとすればするほど、まるで海の青のように指の間をすり抜ける。
だが、手に入らないとわかっていても、私たちは歩み続ける。それが人間の本能だからだ。憧れる青が遠いほど、私たちは高く飛び、深く潜る。どこかにたどり着くためではなく、その過程で得るものが私たちの人生を彩るから。
遠い青の意味
「青は遠い色。」この言葉の奥には、手に入らないものへの人間の切なる願いが込められている気がする。海も、空も、青春も、未来も、みんな遠い場所にあるからこそ、追い求める価値がある。夢は掴めないからこそ美しい。青がいつも私たちの前に広がり、手に届かない場所で輝いている限り、人生は豊かで、意味のある旅だ。
次に空を見上げた時、あなたもその届かない青を思い出してほしい。そして、その青に向かって、また一歩を踏み出してみてはどうだろうか。手に入らないと知りつつも、追いかけることで人生の色が深まるのだから。
憧れと人間の本質
憧れという感情は、人間の成長にとって不可欠だろう。達成できると信じるものばかりが目標なら、人生は単調でつまらない。むしろ手が届かないものがあるからこそ、人は限界を超えようとする。歴史を動かしてきた偉人たちも、遠い青を追い求めるように、理想を掲げ、果てなき挑戦を続けてきた。
憧れの対象が遠いと感じたとき、人は無意識のうちに工夫を重ねる。進化や発明も、すべては「もっと良くなりたい」「もっと高く行きたい」という思いから生まれた。青が遠いからこそ、人類は成長を続けている。
届かないからこそ価値があるもの
現代社会では、手に入れることが容易なものが増えた。情報、モノ、便利な生活——すべてがワンクリックで手に入る時代だ。しかし、だからこそ手に入らないものが、より貴重で特別に思える。
例えば、深い友情や愛情は一朝一夕には手に入らない。相手を理解し、受け入れ、時間をかけて築かれるからこそ、人生の中でかけがえのない存在となるのだ。青のように遠いからこそ、私たちは努力し続ける。
最後に:青の追求は人生の象徴
私たちは青に手が届かないと知りつつも、その色に引かれ続ける。それは、人生そのものが「青」を追い求める旅だからだ。成功も幸せも、青空の向こうにあるように思えるが、その過程にこそ本当の価値がある。
次に青空を見上げた時、そこに何が見えるだろうか。手の届かない遠い青の先にある夢、それとも今ここにある確かな一歩だろうか。どちらにしても、その青を追うことで私たちの人生は確かな意味を持ち続ける。
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