コンサータが変えた僕の人生
違和感との出会い
初めてコンサータを処方された日、僕は希望と不安が入り混じる感情を抱えていた。発達障害の特性が日常生活を困難にしていることは事実だったし、薬がその負担を軽くするという期待は大きかった。それでも、胸の奥に引っかかる何かがあった。それは自分の“特別さ”を失うかもしれないという漠然とした恐れだった。
黒い文字でも1つひとつ色がついて見えるってどういうこと!?
物心ついた頃から「文字に色がついて見える」
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共感覚という世界の見え方
僕には「共感覚」があった。音楽や人のオーラを色として視覚的に認識したりする能力だ。クラシックの旋律は深い青と金色の波となって頭の中を満たし、人ごみの中では誰が“安全”な存在かをぼんやりと色で判別していた。
この感覚は単なる能力ではなく、僕のアイデンティティそのものだった。特に芸術系の仕事をしている僕にとって、それは自分の創造性の根幹だった。
コンサータの選択:希望と犠牲のはざまで
主治医は慎重だった。発達障害の特性が芸術的な能力と結びついている場合、薬がその「凸」部分を平坦にする可能性があるという。平坦になれば日常生活は楽になるが、創作の源が消える危険性もある。まるで鋭い刃物を包丁から鈍器に変えるような話だった。
それでも、仕事に集中できず、生活のリズムも崩れがちな自分を何とかしたかった。希望にすがるように、処方された薬を飲んだ。その瞬間、僕の人生は確かに変わった。
共感覚の消失とその衝撃
数日後、異変に気づいた。クラシック音楽がただの音にしか聞こえない。色も、波動も消えてしまった。通勤途中の人々は灰色の群れでしかなく、誰がどんな“気”を放っているかも感じられない。
一瞬、静かな恐怖が襲った。これが普通の人の世界なのか?心が真っ白になった。確かに生活は整理された。頭の中で情報が過剰に膨れ上がることもなく、仕事にも集中できる。でも、何か大切なものが消えた気がした。僕の世界は色彩を失った。
葛藤と再定義:僕が選んだ道
主治医に相談したところ、「一度消えた感覚は服薬をやめても戻らない場合が多い」と言われた。言葉を失った。薬を飲む前に戻れるなら、すぐにでもそうしたいと思ったが、現実はそう甘くはなかった。
仕事に必要な集中力を得た代わりに、創造の源を失った僕。この選択は間違いだったのか?そんな問いが何度も頭をよぎった。けれども、過去を悔やむのはやめることにした。僕は新しい自分を見つける旅に出るしかない。
未来への視点:色のない世界に光を探す
今も時々、失った世界が夢のように蘇る。けれど、過去に縛られては何も進まない。僕は新しい視点で創造する力を模索している。色彩を感じられなくても、思考の糸をたぐり寄せて形にする術を学べるかもしれない。
“個性”とは何だろう?発達障害の特性も、共感覚も、僕の一部だった。それを否定する必要はないし、失ったまま生きる必要もない。ただ、その事実と共に前を向くしかないのだ。
共感覚の世界を取り戻すことはできない。でも、別の形で自分らしさを見つけ、創造する力を信じて進む。僕は今日も新しい色を探す旅を続けている。
人生には、選択のたびに失うものと得るものがある。僕は失うことを恐れていたが、結局のところ、それもまた人生の一部だ。変化を受け入れた先に新しい可能性が広がる。
自分を取り戻す旅は、まだ終わらない。
人生は選択の連続だ。時に痛みを伴うその選択が、新しい自分を作り出すきっかけになる。失ったものの中にこそ、次の一歩を踏み出す力が隠れているかもしれない。
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