『良いこと悪いこと』第5話考察2―担任の“森先生”=博士=7人目? 消えた紫の虹と「ようこそ鷹里小の森へ」に隠された真実

先日考察した記事はこちら


→ 第5話で明かされた“博士”の存在と「学校のホームページ」について詳しく解説した前回の考察では、
ちょんまげと博士が共同で作ったサイト、そして“記録が記憶を超える”というテーマを中心に分析しました。
今回はその続編として、博士の正体が「森先生」だったのではないか?という新説を掘り下げます。


2025年10月期・日本テレビ系土曜ドラマ『良いこと悪いこと』。
鷹里小学校の同窓会をきっかけに、タイムカプセルから見つかったのは――6人の顔が塗りつぶされた卒業アルバム
そして第5話でついに、“7人目の友達”の存在が確定した。

物語は一気に“博士”の正体をめぐる新たな局面へ。
鍵を握るのは、7人目の友達「博士」の存在


虹の“7色”が語る、7人目の不在

花音ちゃんの教室の壁には、「虹は7色」と主張するかのように、大きな虹の絵が掲げられていた。
しかし――キングが描いた夢の絵の虹は、紫が抜け落ちた6色しかない。
そしてその絵でキングが倒しているクマのぬいぐるみは、まさに“紫色”なのだ。

虹から失われた色、紫。
7色のうち、最後の1色を欠いた虹。
それはまるで「7人目を欠いた友情」の象徴であり、
キング自身の無意識が“博士(紫)”を消し去っているかのようだ。

卒業アルバムで“6人の顔が塗りつぶされている”というモチーフとも呼応し、
“欠けた紫=消えた7人目”の構図が、物語全体を包み込んでいる。


ここで注目すべきは――このクラスの担任、森先生

花音ちゃんの担任は、森先生
教室の壁に掲げられた虹の絵を、毎日目にしているのがこの森先生だ。

もしこの虹が、森先生の意向で描かれたものだとしたら――?
「虹は7色」という強いメッセージは、
“忘れられた7人目”への無言の訴えだったのではないだろうか。

紫を失った虹を描いたキング。
7色を残そうとした森先生。
まるで、“忘れようとする者”と“忘れまいとする者”の対立が、教室という小さな空間で再現されているようだ。

この構図が意味するのは単なる象徴ではない。
――森先生こそ、“紫=博士=7人目”を知る人物、
あるいはその本人そのものである可能性が高い。


「ようこそ、鷹里小の森へ」――掲示板が語る真実

第5話でちょんまげが探していた“学校のホームページ”。
それはかつて彼と博士が共同で作り上げた掲示板だった。
そして、そのタイトルには意味深な言葉が刻まれている。

「ようこそ、鷹里小の森へ」

このフレーズを文字通りに読むと“学校の森”。
しかし、“鷹里小の森”とは、“鷹里小学校の森先生”――つまり森先生本人を指していたのではないか。

掲示板の書き込みは1〜438番目が時期不明だが、
439番目の投稿が2022年であることが確認されている。
この年は、キング(高木)の娘・花音が鷹里小に入学した年だ。

博士が消えたはずの時間を越え、
その年に再び掲示板が更新されたということは、
博士=森先生が学校に戻ってきたことを意味している。

つまり、このホームページは“森先生自身の記録”であったのだ。


■ 書き込みの痕跡 ― 11月7日と11月10日

第5話で描かれた11月7日、キングが校長に会いに来た日。
そしてその直後、11月10日には「ごんぎつね」の授業が行われた。

もし博士=森先生がこの時も掲示板に書き込みを続けていたとしたら――
11月10日、投稿しようとしたその瞬間に、
ちょんまげからのアクセス(チャット)が届いたのではないか。

この掲示板は、“森”という名の下に更新され続ける、
記憶の延長線=復讐の記録でもあったのだ。


■ 「ある日森の中」――歌が告げる記憶の寓話

劇中で繰り返し登場する童謡「ある日森の中♪」。
この歌の“森の奥で出会う誰か”は、博士=森先生の暗喩だと考えられる。

“森の中”は記憶の奥、“博士”は忘却の中。
そしてその歌声が流れるたび、
観る者の中に眠る“もうひとつの記憶”が揺れ動く。


■ 結論 ― “博士は森にいた”

虹から消えた紫。
「ようこそ鷹里小の森へ」というタイトル。
花音の担任、森先生。

これらすべてのピースが重なると、1つの真実が浮かび上がる。

博士=森先生=7人目の友達。

博士は“教師”として学校に残り、
過去に自分を忘れた者たちへの復讐の機会を、静かに窺っていた――。

ちょんまげが「博士…?」と呟いたあの瞬間、
彼は“記憶の森”の奥に眠る7人目と再会していたのだ。

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